【42年目の春。母へ】

私は、42年前の4月10日。
5歳で母を亡くしました。
当時、母はまだ35歳。若すぎる死でした。

なぜか、私や妹の記憶に――声も顔も、残っていない。
まるで、深い湖に沈めてしまったように。
けれど、誰よりも正義感が強く私や妹を守ろうとしてくれた人でした。
未熟児で生まれ、アメリカ産のミルクしか飲まず衰弱していく私を、
病院に「返せ」と暴れた母。
夜泣きのたび、父を起こさぬよう、真夜中におぶって歩いてくれた母。
「子どもは産めない身体」と言われながら、
命をかけて、私と妹をこの世に送り出してくれた母。
間違えていると思った事には初対面でも真っ向から異議を唱える勝気な母。
自撮りするお仕事になるとは思いもしなかった私ですが、幼い頃はカメラが嫌いで逃げ回っていた私を叩かれたのはよく覚えています。
そんな母の死は、私の人生を狂わせました。
親を亡くした子に向けられる、冷たい親戚たちの言葉――

「親のいない子に、大学行かせる必要ある?」
「甘やかしすぎ。分相応を弁えてもらわんと」
そう言われながら育つ子どもの心が、どれだけ傷つくかなんて、誰も知らなかった。
父は、母を亡くしたことから再起できず、自暴自棄に。
残された妹を守るため、私は“盾”になるしかありませんでした。
今思えば、あれは“闘い”でした。
勉強も、就職も、結婚も――全部。
「普通」に近づくための、孤独な闘い。
それでも私は、生きています。
祖父母の支えもあって、たくさん遠回りをして、
今、もう9年目を迎えますが小さな会社を経営しています。
売上は、円安や万博、イタリア製の高騰で不安定。
心も、起業して以来、休まることはありません。
でも、それでも私は、
お客様にお求めいただいた服を通して、何かを届けようとしています。
「人は中身」だという人もいます。
でも、見た目で判断される現実も、私は知っています。
だからこそ――
“外見から始まる人生の変化”を信じて、
私は今日もイタリア製をセレクトし続けています。
お母ちゃん。
今日、42年目の命日を迎えました。
私はまだ、あなたに褒めてもらえるような人間じゃないけれど、
私なりに、あなたの分まで生きています。
そして今日も、お供えにお茶を替えてくれる妻がいます。
きっとお母ちゃんなら、「変わった嫁やなぁ」って笑うでしょうね。
お母ちゃん。
42年目の春。
ばあちゃんが、「桜を見るたびに悲しくなる」と言った春。
私は、あなたのことを忘れていません。
私が、ここまで生きてこられたのは――
あなたが命をかけて産んでくれたからです。
ありがとう。
ほんとうに、ありがとう。
ほんまに、ありがと。