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「私のスーパースターへ 〜妹とカレン・カーペンターと私〜」

私は夢でも日常でも音楽が脳内で流れている時があります。

カーペンターズの
「スーパースター」

カレンの声は、まるでどこかで涙をこらえているようで。
想いを込めて待っているのに、その想いが届くことのない人の声。

それは昔、妹を待っていた私や、祖母と重なって――
あるいは、今の私の心そのものかもしれない。

カレン・カーペンターがMBTI診断で同じ提唱者(INFJ)

だったと知ったとき、
不思議と胸がぎゅうっとなった。

繊細さと美意識、兄との関係、極度のダイエットによる拒食症という苦しみ。


彼女の歌声があれほど澄んでいたのは、
世界の中で誰よりも

「愛されたい」

と願いながら、
誰にも

「愛されていない」

と感じていたからではないかと思った。

私もまた、似たような痛みを持っているのかも知れません。
 

カレンには兄リチャードがいた。
音楽という居場所があった。
私には…いたかな。
いたよね、妹。

一緒に100円のガジュマルの木

を買って育て、
私はレディースのジーンズを履いて、妹はボロボロになるまで私のジーンズを履いて。

一緒に洋服を選んで、「カップルと間違えられた」こともあった。

兄だった私が、店員さんには“弟”のように見えたらしい。

妹は、そんな私を見て
「私が男で、兄ちゃんが女だったら良かったのに」

って言ってた。

30年近くなると今や一緒に買ったガジュマルの木は私の背を越していくほどになりました…。



でも、仲良かったのがお互い結婚をし私たちはすれ違ってしまった。
私がブログに祖母との思い出を書いたことで、
妹の事を書いてしまい妹は傷ついて――
以来、連絡は絶えてしまった。
まるでカーペンターズ兄妹のようにすれ違ってしまった。

私は親のいない子と親戚に言われたり、
いじめや先生からの圧からの妹を守ってきたと思ってきた、

思い込んできただけに、
私から兄として謝る事も出来ず。

祖母が亡くなった夜。

私がどれだけお通夜で祖母と話したかを、おそらく妹は知っていた。
そしてお葬式に来た妹の前では私はまた“兄”に戻っていました。

ぶっきらぼうに
「こうこう、こうなったからな」
とだけ低い声で話す私。

怒らず、責めず、昔の事は蒸し返さず。
でも本音は、寂しかった。

あのとき、…ちゃんと話せたらよかった。
ちゃんと飲み過ぎた親戚にいつもの如く何歳になっても

「ようお前らを遊びに連れて行ってやったの!」

とマウントを取られたのを私は間に受け、言い返してやりたいのを「喪に服す時間…」とグッと我慢をして、

妹はうまく立ち回っていましたから40も50もなっても変わってないのかも知れませんね。

「スーパースターなんて、どこにもいない夜」

そう思うと、涙が出るけれど――
それでも、私は君を想う。
カレン カーペンターズのこの歌声のように。

不器用なリチャードは、
兄として謝る事も出来ず、ただ待つだけ。

私のスーパースターは、誰なんだろうね。
カレン? 君?それともPitti Uomoで戦っている中村達也さん?

それとも、今こうして心を寄せてくれてる“誰か”かもしれない。

静かに、切なく、そして誠実に。
この気持ちが、妹に届かずとも誰かに届けばいい。

それだけでいい夜も、あるから。
届いても恥ずかしい🫣ですが。

「残念な兄として」

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