血豆が潰れても、走り続けた日と静かに燃える今

高校の思い出
「歯を食いしばることを、私はずっとやってきた」
展示会

や銀行員との付き合いはというものは、
実に厳しい場所です。
買う側であっても、
年齢を重ねていても、
いや、重ねたからこそ(歳が近いと気を遣われるのかな?離れているからこそ)
時に心ない扱いを受けることが多々あります。
お付き合いするのに
条件、条件、条件、
すんなりうまく行くと思っていたら、後から「後出しジャンケン」条件追加。

納品時期になれば送って来ない、
資金繰りのせいか、月末になれば無理矢理送って来る、
展示会のサンプルでは綺麗に出来ていたのに出来上がっていたのに納品されて来たらシワシワ、ほつれてる、などなど。
不平等ではありますが、祖父に
「お前はこの家にしては賢いかも知れんが、頭を下げろ、頭下げるのを覚えろ。俺もな、頭下げたら1万円と思うようにして来たんや」
と言われ続けました。
もう1つ思い出すのは
高校生の頃の事。

インフルエンザで高熱がある中、
サッカー部から剣道部に引き抜かれて結局12年剣道してましたが
どうしても勝たなければならない試合がありました。

理由は、今となっては笑い話です。
フラれた彼女の前で最後の試合だけは勝とうと。
でも当時の私には、
それが全てだった。
歯を食いしばって、
勝ちました。
そして目の上のたんこぶだった、剣道部の主将(キャプテン)にいつも剣道は負け勉強は負けてましたのでせめてマラソンだけは絶対に負けれない、これで彼に負けるぐらいなら、叔父やら祖母の実家の散髪屋のおじさんに
「親の居ない、暮らしていない者に進学などお金が勿体ない」

と猛反対されながらの進学でしたので
彼を超えなければ進学も何もないと思い、
血豆が潰れてスニーカーが真っ赤に血に染まりながら
10kmを走り切りました。

大学進学への道を
自分でこじ開けるために。
彼に勝つ為には学年20位以内。彼を追い越した時、追い付かれないかより足の痛みとの戦いでした。
無事、私は英語の論文の試験でしたが進学出来ました。当時は私の高校では350人中進学5人。
「何とかなるやろ」
の子達は今と違って皆落とされてしまいました。
あの頃から私は、
悔しさを燃料にすることしか知らなかった。もし進学してなかったら東大阪の工場で叔父らと一緒に油まみれになりながら肉体労働してると思います、祖父の会社で。

でも、進学して、就職して病むまで働いて、その中でも起業して、やっと掴んだ夢の現実は…
ビジネスでマウントを取られながら、不条理な事を言われながら、
ふとあの頃の自分を思い出しました。
何も変わっていない、と。
それでも交渉して交渉して我慢して、バイイングや銀行員と付き合って来ました。

お客様にはきっと
関係のない話かもしれません。
でもこの子たちが私の元に来るまでに、
少しだけ
私の歯ぎしりが混ざっています。
本物だけを、
お届けしたかった。
それだけなのです。
この歳になると
「振り返る」事が多くなりますね。
人生100年、人によっては150年時代と言われては居ますが、
尊敬している人にも言われました。
横山さんは
「THE昭和」

のまんまなんだと。
令和アップデート…
スルー、無視、黙する、損得勘定で考える、
私はしたくないのだと思います。
その「令和アップデート」。
したらここまで我慢できたか?
キャプテンに勝てたか、進学出来たかと言うと何とも。
ただ私も数え年50歳。
燃えたぎるような勢いもなく、勝ち気さもなく、穏やかになりました。
こうして私の歴史を切り売りして投稿するぐらいみたいな事しか出来てません。でももしかしたらもう倍は生きれるかも知れないのなら、
折り返し地点。
振り返りながら、でも未来を憂いて、でも胸を張って生きていくしかない、そんな感じです。